小名木善行

西周は「明六雑誌」の創刊号で、「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」という論文を掲載し、概略次のようなことを述べました。 たとえば、英語の「philosophy(哲学)」を、「フィロソフィー」とカタカナ語で用いるのではなく、翻訳語としての熟語(哲学)を創作する。なぜそうするかといえば、外国語を外国語のまま紹介したのでは、専門の学者にはそれでいいかもしれないが、その心とする語彙が広く世間に普及しない。欧米の概念は、欧米の言葉で学ぶだけでなく、その意味や意図を、日本人の知識としていくためには、語彙に即した日本語を造語していかなければならない。そうすることではじめて、外国の概念や哲学が日本人のものになる というのです。そしてその西周が「Right」を翻訳した言葉が「権利」だったのです。 ところが、この「権利」という訳に、福沢諭吉が噛み付きました。「誤訳だ!」というのです。そして福沢諭吉は、ただ反発しただけでなく、「『Right』は『通理』か『通義』と訳すべきで、『権利』と訳したならば、必ず未来に禍根を残す」と、厳しく指摘しています。 なぜ、福沢諭吉は、そこまで厳しく噛み付いたのでしょうか。理由が2つあります。ひとつは、「権利」には能動的な意味があるが、「Right」は受動的な力であること、もうひとつは、Rightには「正しいこと」という意味があるけれど、「権利」という日本語にはその意味が含まれていないこと、です。